プロフィール

Tomokazy Wayne

略歴

2018年、39歳の時にシングル3曲でインディーズデビュー。

世界のシンガーギタリストやミュージックビジネスの中の本格派のシンガーギタリスト。東京の町田で曲を作っている。

アメリカのナッシュビルのラジオ WMOT 89.5 FM Strange Roots Radioで

曲が2021年中に度々流れた。

2023年、総ストリーミング再生数5万回突破。そして30年以上エレキギターを弾いている。2024年3月に独立しミュージックビジネスで6年経つ。

”3 Bar Music”は世界中で誰もやっていないTomokazy Wayneが作った独自の音楽スタイル。

背景

 トモカジー・ウェイン、東京の町田の生まれ (1979年2月8日)、45歳。エレキギターを弾きながら歌う、この時代を生きる一人のシンガーギタリスト。生まれた町田で曲を作っている。そして独自の”3 Bar Music”。

 

 一列に並ぶタクシーの色を見て、バスセンターのバスのクラクションを聞き、子供の頃お母さんとよく来たデパートを見上げました。東京町田駅西口の39歳のTomokazy Wayne。

 

 

 人へのやさしさや思いやりのための自分だった。そして裏切られたと感じた。自分がやりたいことを言えなくなっていた。自分を吐き出せないでいた。それが間違ったやさしさや思いやりだとしても。10代20代半ばまでの時間のむだ、一番の大事の若さが我慢の時間となった。限界を超えても我慢して感情と記憶を失った。心の闇、反抗期の無さ、心の暗さ、一人。助けてと言えなかった。10代の止まったままの自分がまだ心の中にいる39歳のTomokazy。39歳まで来てしまった、ずっと自分とだけ話をしてきた。全部捨ててでも、全ての縁を切ってでも、誰とも連絡を一切取らず、自分をわかっているのは自分だけ。自分を知っているのは自分だけ。何もこの世に残していない。まだ止まったまま、まだ動き出していないTomokazy Wayneの人生。

 

 

 そして初めて。自分と向き合う。自分の気の毒さ。ルミネ町田の前で思う”生まれた場所で死にたい”。38歳で体を壊し、39歳からの家出人、やさぐれ、足をひきずりながら。自分であるために。これが最後。自分に嘘をつかない自分を見つけるために。心にあるものをつかんで出せ。逃げれない。Tomokazy Wayne

 

 

 近づかれることに恐れ、遠くを見て、居場所の無さ、異常におびえて。一人でいることの弱さ。道を選び歩く。休息の時間や場所の無さ。ビルの陰、信号を渡るときの日差し、夜のデパートの輝かしさ、洋服屋の若さ、コンビニエンスストアの前で飲む味噌汁。公衆便所。ハト。若さの攻撃。べとべとの髪、伸びた鼻毛、帽子、やさぐれ・家出人・住所不定者、ふらふらする宿の無さ、インターネットカフェで夜を過ごし、台風をしのぐ。怪しさや危なさの無さを心の中で唸る。ペットボトルのお茶、あっちに立ってこっちに立ち、足を引きずり、ビルの中へ隠れて食べる焼き鳥の塩。ハトにおびえて。傘を買い、また傘を買う。インターネットカフェに長居できず、耐えられないほどの寒さの暗さの早朝駅前の雨風。デパートのエスカレーターに乗り、レストラン街へ、トモカジーの小汚さ、そしてエスカレーターで降りる。右手のパンの小ささ、誰も人の居ない台風の日の都会にTomokazy。

 

 

 まだ吐き出せない心の奥。自分の初めての道へ。自分を探し。自分へ戻り。過去を捨てて。自分と向き合うために。死ぬ前にやらなきゃならないことがある。一人の旅、一人で行く、最後だけど最初の自分の旅。誰かじゃなくて自分がやるんだ。誰かを泣かせてもやらなきゃならない。38年間捨てれなかったもの39歳の遅さ。最後のチャンス。ビルが立ち並ぶ東京の町田駅西口のまだ誰も知らないやさぐれ・家出人・住所不定者39歳のTomokazy Wayne。

芸歴

幼少の頃、エレクトーンを習っていた。

中学の頃からエレキギターを弾きながら歌いライブをする。同時期に作曲もはじめる。高校生の時から自分の曲でライブをしはじめる。

濱中祐司氏に師事。下積みが始まり、パブやレストランやバーなどでギターを弾きながら歌いお金をもらい始める。演歌の先生に営業仕事をもらったり、ミュージシャンの荷物持ちなどもやった。

ヒップホップのダンスを少しやった。

Jazzのピアノを習った。

日本舞踊を独自に練習。能・狂言・歌舞伎・義太夫・浪曲などいろいろ見に行った。レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、葛飾北斎、ゴッホなどを見に美術館にもかなり行った。

30代半ばぐらいから”ほそや3ともかず”という芸名で新宿LiveFreakでのライブ活動。自分の曲をエレキギターを弾き歌う。一人漫談・一人芝居・バックバンドを入れてのライブ・ソロライブ・お笑い芸人の前座・大晦日のライブ出演など何でも色々やった。

俳句短歌を独自に習得。

ステージネーム・芸名をTomokazy Wayneとして開始。そしてもう30年以上エレキギターを弾いている。

これまでにシングル・アルバム・ミュージックビデオを多数発売。

インディーズデビューして6周年が経つ。

バイオグラフィー 生誕~

 1979年2月8日、日本の東京都町田市金森に生まれる。神奈川県の相模原市で育つ。幼少の頃エレクトーンを習っていた。その後、米軍基地のそばに引っ越す。音楽好きの家族の中で育った。父、母、弟。Tomokazyの母は子供の頃から歌が好きで中学の時に歌を習っていたとのこと。色々のカセットを良く聴いていた幼少の頃のTomokazy。

 生まれたときに病院のベッドでお母さんと渥美二郎さんの”夢追い酒”を聴いていたとのこと。小さき頃のTomokazyは八代亜紀さんの”雨の慕情”が好きだったと。テレビの前で手をいつも真似していたと。 

 小学生の頃、音楽の授業の終わりにいつも先生に『歌って。』と言われよくみんなの前で歌っていた。指揮者や吹奏楽もやった。勉強が出来たりいつもクラスの代表だったりする自分が嫌いだった。小学校3,4年生くらいの時、一人で校庭に行った時に目をつぶった瞬間に目の中が光った。その時に自分の将来を決めた。

バイオグラフィー エレキギターをはじめる

 中学1年の時にエレキギターの本だけ買ったTomokazy。何が書いてあるのか全く分からなかった。14歳の時に夜に親について行ってもらいAria Proの安いセットのエレキギターを買ったTomokazy。次の日に風邪をひき学校を休んで布団に入って初めてエレキギターを抱えた。自分で練習して覚えた。毎日8時間練習した。三度の飯よりギターだった。練習しすぎて体を壊し何度かお母さんが病院に連れて行ってくれた。中学の時に音楽の授業の時間にみんなの前で初めてエレキギターを弾きながら歌った。

 ハードロックやヘヴィメタルがあまり自分には合わないと感じた若きTomokazy。自分に合いそうな曲を探した。どれだけCDを買ったかわからない。そしてシンガーギタリストやソロアーティストやBluesなどのTomokazy自身と同じスタイルのエレキギターを弾きながら歌う人を聴き始めた。

 高校2年の時に文化祭で初めて自身のオリジナルの曲でライブをする。MTRで録音してオリジナル曲のカセットテープを作りみんなに聴いてもらった。Popな曲を日本語で作りエレキギターを弾きながら歌っていた。Jacksonのギターを使っていた。町田のPlayHouseなどのライブハウスで自分のオリジナルの曲でライブ経験も積んでいく。

 高校の卒業アルバムの裏表紙一面がTomokazyが文化祭で体育館のステージでエレキギターを弾いて歌っている写真だった。

バイオグラフィー 高校卒業~下積み時代

 高校卒業してどん底でひきこもりになる。Bluesを聴き始め、きちがいのようにギターを練習した。曲を作りカセットのMTRにたくさん録音していった。この頃からFender USA Eric Clapton Signature Model Stratocasterを使い始める。夜中によくAlbert Kingの”Blues Power”を聴いていた。B.B.Kingの生い立ちの本も読んでいた。本当は自分をどん底へ落としたかったのかもしれない。

 母のすすめで近くのダイエーの中にあるカルチャーセンターの英会話に行く。New York出身の若き男性の講師だった。そこからひたすら毎日朝から晩まで駅前留学NOVAなどの英会話へ通い始めた。ジャズのピアノもスガナミ楽器で廣瀬先生に習い始めた。商売のことも身につけたくて飲食店でアルバイトをした。

 ひきこもりだったが外に出れるようになり、毎晩のようにBluesのセッションに行きはじめる。東京・神奈川の他に信州へよく行ってライブやセッションをした。電車の中でもケースからStratocasterを出して弾いていた。アメリカの人ともBluesをやった。ずっと出かけてばかりで家に帰らなくなった。

 24歳から下積みがはじまる。ギタリスト濱中祐司さんに弟子についたり、ギタリスト原田和也さんにお世話になったり、スタジオミュージシャンやモト冬樹さんのバンドの荷物持ちをしたり、演歌の先生に仕事をもらいダンスパブで生バンドでエレキギターを弾きながら歌って初めて音楽でお金をもらったり(バックアップミュージシャンはN.Guitarつしまさん、Bass杉尾陛さん、Drums加藤のりたかさん)、色々のレコーディングやライブツアーに参加させてもらったり、Jazzをやったり、愛媛のBarでBluesや自分の曲をやったりカスタムギターメーカーCombatのイベント(この時のTomokazyのバックアップミュージシャンはBass堀つよしさん、Drums相川雄太さん)やディレクターやアーティストなどの音楽の人の集まりで自分の曲をアコースティックギターを弾きながら歌ったり、レストランでポップスやハワイアンをギターを弾きながら歌いギャラや食事をもらったり、ほとんど毎日どこかでギターを弾き歌って音楽でお金を稼ぎ始めた。

バイオグラフィー 30代

 32歳ぐらいから自身のソロアーティストとして進むためにすべてを辞めてアルバイト生活になる。芸のために競馬・競輪・スロット・ゲームセンター・ボートレース・パチンコ・麻雀などに明け暮れながらライブハウスで自身のBluesや喜劇的の曲や女心などの曲をエレキギターを弾きながら歌いはじめる。能・狂言・歌舞伎・義太夫・浪曲などいろいろ見に行ったり自分でやってみたりした。新宿Live Freakでたくさんライブをする。初めて12月31日も出させてもらった。この頃のTomokazyのライブのバックアップミュージシャンはいつもBass杉尾陛さんとDrums相川雄太さんがつとめていた。お笑い芸人の前座などもやった。Fender Japan Stratocaster Standardを使っていた。大人のお客さんには好評だった。だがなかなかうまくいかない日々が続く。ライブハウスのお客さんに怒鳴られて立ち上がれないぐらいどん底に落ちた。何年もチョコレートを食べまくり、缶コーヒーを飲みまくり、ソフトクリームを食べまくる日々が続いていた。

バイオグラフィー Tomokazy Wayneのはじまり~

 38歳の時に体を壊しげっそり痩せて足がしびれて感覚がなくなりげっぷが止まらず尿がドロドロになる。”もう死ぬ、この世に何も残していない”と思う。すべてを捨てたTomokazy。そしてお母さんが『最後に自分のやりたい音楽をやりなよ。』とTomokazyに言った。まず俳句と短歌を習得した。レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、葛飾北斎、ゴッホなどを見に美術館にもかなり行った。母に味の無い物を作ってもらい毎日食べ、レモンをしぼってもらい毎日飲んだ。39歳の3月から最後の自分の音楽をやりはじめたTomokazy Wayne。インディーズデビューし、人生で初めて自身の音楽を世の中に発売する。シングル3曲。自分と向き合うためにやさぐれとなり町田駅西口を中心に曲を作る。町田の路上で歌う。そしてこの39歳のやさぐれの時に作った中の3曲”I`m A Stranger”・”Nervous”・”No Rest”がTomokazyの代表曲になっている。

 アルバム・シングル・ミュージックビデオを次々と発売していく。そして自身のソロキャリアのライブツアーを東京2カ所だけだがまわる。この頃Fender Made In Japan Stratocasterを使っていた。

 アメリカのナッシュビルのラジオ WMOT 89.5 FM Strange Roots Radioのホストから”Tomokazyの曲を流すよ”と連絡がある。Tomokazyのヴォイスメッセージと”Sunday Night”が流れる。2021年中にその後も度々”You Know What”などの曲が流れる。

バイオグラフィー 近況

 生まれた東京都の町田市で一人暮らしを始める。2023年の3月でソロアーティストとしてのキャリアと自身のミュージックビジネスで5年経ち、総ストリーミング再生数5万回突破。シングルの”Blue Blue Blue”がJOYSOUNDのうたスキミュージックポストのPick Up楽曲で紹介され、最新アルバム『30』に収録されている”Fly With”がSmart USENで4週間流れた。30年間の音楽とエレキギター。そして橋本七夕まつりに出演。

 また最近環境が変わり相模原にいる、2024年1月3日には初の日本語の歌詞のニューシングルをリリースしハイレゾルーションのJazzのシングル”夜の蝶”も発売、Smart USENで4週間流れた。。3月でインディーズデビューしてから6周年経つ。現在、自身の58曲をJASRACに登録。レコーディング曲数はもっと。同年4月に相模原市の桜まつりの市民会館のステージに出演。少しずつ色々な国の人に聴いてもらっている。世界の人たちに聴いてもらえるシンガーギタリストであることを信念にしているTomokazy Wayne。

公式ブログ

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